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カツラの葉っぱ 大好き!

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『ガロ』がつなぐ輪R4

<『ガロ』がつなぐ輪R4>
鶴見俊輔さんが「ガロ学派」という命名を行ったほど、漫画ムック『ガロ』は1970年代のメディアを牽引したようだが・・・
地方にいた大使は感度が鈍いのか、『ガロ』について、大した関心がなかったわけです。
10月(2015年)に赤瀬川原平さんが亡くなったが・・・
えらいこっちゃ!そんなに年が過ぎているのか。
ということで、遅ればせながら『ガロ』について、集めています。

・『オレって老人?』
・『「ガロ」という時代』
・ガロ(1982年2、3月号)
・ガロ(1993年8月号)
・対話録・現代マンガ悲歌
・ガロ曼陀羅
・ノー・シューズ
・もう赤瀬川原平さんはいないのか
・つげ義春 夢と旅の世界
・『ガロ』を見ずに過ごしてきた

R4:『オレって老人?』を追加


<『オレって老人?』3>
図書館で『オレって老人?』という本を、手にしたのです。
天野祐吉さんの対談集『隠居大学』を読んだところであるが、その勢いでこの本をチョイスしたのです。・・・
何もそんなに、ダボハゼのように続けて読むようなジャンルではないのだが、若葉マークの初心者なもんで(汗)


【オレって老人?】


南伸坊著、みやび出版、2013年刊

<「BOOK」データベース>より
【目次】
法的に老人/老化すると人は老人になる/老人の嗜み/近頃のツバメ/アンドレア・デル・サルトの謎/クレーのわすれもの/アノホラロボットとは何か/アノホラ検索/おもしろいひとりごと/お返事〔ほか〕

<大使寸評>
天野祐吉さんの対談集『隠居大学』を読んだところであるが、その勢いでこの本をチョイスしたのです。・・・
何もそんなに、ダボハゼのように続けて読むようなジャンルではないのだが、若葉マークの初心者なもんで(汗)

rakutenオレって老人?


顔面パロディで知られる南伸坊は、一時期、「ガロ」の編集長だったようですね。




<『「ガロ」という時代』>
図書館で『「ガロ」という時代』という本を、手にしたのです。
「ガロ」は、わりと名のある雑誌なんだが・・・
発行当時に、この雑誌を本屋で買ったこともないわけで、逆に、何故そうだったのか自問しているんです。


【「ガロ」という時代】
ガロ

青林堂編、青林堂、2014年刊

<「BOOK」データベース>より
【目次】
長井勝一氏の思い出(小野耕世)/月刊「ガロ」創刊50周年記念に寄せてーわたしが魅せられた「ガロ」の漫画家たち(清水正)/60年代資料編 昭和39年(1964)~昭和44年(1969)全号収録作品・作家と出来事/60年代「ガロの作家」論/70年代資料編 昭和45年(1970)~昭和54年(1979)全号収録作品・作家と出来事/70年代「ガロの作家」論/80年代資料編 昭和55年(1980)~昭和64年・平成元年(1989)全号収録作品・作家と出来事/80年代「ガロの作家」論/90年代~資料編 平成2年(1990)~平成14年(2002)全号収録作品・作家と出来事/90年代~「ガロの作家」論/「ガロ」の時代とその影響(小野耕世)

<読む前の大使寸評>
「ガロ」は、わりと名のある雑誌なんだが・・・
発行当時に、この雑誌を本屋で買ったこともないわけで、逆に、何故そうだったのか自問しているんです。

rakuten「ガロ」という時代


この本は、「ガロの作家論」と各年代の「資料編」の二つで構成されているのだが、「資料編」の中で個人的に注目する個所をメモ書きしてみました。
(あくまでも、今注目するのであって、当時では気にもならなかったでしょうけど)
・1964【9月創刊号】:ガロ始動
・1964【12月号】:カムイ伝、開始
・1965【8月号】:つげ義春、初登場
・1966【3月号】:水木しげる児童漫画賞受賞記念号
・1966【11月号】:佐々木マキ、登場
・1967【4月号】:滝田ゆう、登場
・1967【11月号】:林静一、登場
・1968【6月臨時増刊号】:特集つげ義春、「ねじ式」初出
・1968【7月号】:ゲンセンカン主人、初出
・1970【1月】:赤色エレジー、連載開始
・1970【2月増刊号】:特集、林静一
・1970【6月号】:赤瀬川原平、登場
・1972【2月号】:嵐山光三郎、参加
・1972【4月号】:鶴見俊輔、参加
・1973【8月号】:蛭子能収、登場
・1974【9月号】:安西水丸、登場
・1975【3月号】:荒木経惟、登場
・1980【10月号】:みうらじゅん、登場
・1980【11月号】:杉浦日向子、登場
・1982【8月号】:特集、長井勝一
・1987【12月号】:とり・みき、登場
・1993【8月号】:特集、「つげ義春」する!・・・古書店で購入
・1996【3月号】:追悼、長井勝一

「ガロの作家論」のなかで気になる箇所を、見てみましょう。

百物語

<【杉浦日向子】江戸の無名の人々の群れ:山下聖美>p200~201
 杉浦日向子と言えば「江戸」である。NHKの人気番組であった『コメディーお江戸でござる』において、にこやかに、物腰柔らかく解説する彼女は、お茶の間と「江戸」をつなぐ、実に親しみやすい着物のお姉さんであった。

 こんな彼女の出身は、異色のアーティストを多数輩出した伝説の雑誌「」。
 1980年、江戸の吉原を題材としたマンガ「虚々実々通言室乃梅」(「ガロ」1980年11月号)にてデビューし、男たちとおいらんの一夜を細やかに描いた。20歳そこそこの女性のデビュー作としては目を見張るものがあった。

 マンガ家・いしかわじゅんの目から見れば「決して漫画としてはうまくはない」ものであり、「大手の出版社なら、掲載になったか怪しい」ものであり、しかし「表れた形はまだ少し幼かったのだが、優れているとしかいいようがない」ものであった。

 目先のビジネスではなく、文化を育てる役割を果たしてきた「ガロ」の存在意義を今更ながら深く感じる。無難な完成品ではなく、どのように発展していくか未知数の表現を世に放つ余裕が、この雑誌にはあった。




三宮センター街の古書店で『ガロ(1982年2、3月号)』を手にしたのです。
めくってみると、杉浦日向子「袖もぎ様」と荒木経惟「能理子純愛路線」が目についたのです。
それに、ちょっと黄ばんでいるが、値段が300円とチョーお徳である。
もしかして、この雑誌の漫画家が古書店主の好みでなかったのかも。

古書店でときどきあるんですね。
店主の好みでないものとか、その本の価値を見抜けずにチョーお徳な価格設定になっていることが。

【ガロ(1982年2、3月号)】
ガロ

雑誌、青林堂、1982年刊

<商品情報>より
m目次(管理人編)目録

<読む前の大使寸評>
めくってみると、杉浦日向子「袖もぎ様」と荒木経惟「能理子純愛路線」が目についたのです。
それに、ちょっと黄ばんでいるが、値段が300円とチョーお徳である。

poyotaガロ(1982年2、3月号)




三宮センター街の古書店で『ガロ(1993年8月号)』を格安でゲットしたのです♪

【ガロ(1993年8月号)】
ガロ

雑誌、青林堂、1993年刊

<商品情報>より
特集 「つげ義春」する!-映画『ゲンセンカン主人』公開記念:つげ義春インタビュー、赤瀬川原平・上野昂志・黒川創・川崎ゆきお・とうじ魔とうじ・高野慎三・ユズキカズ・安彦麻理絵・三橋乙揶・杉作J太郎/ガロ名作劇場17 勝又進「狸」/「パースペクティブキッド」刊行記念 ひさうちみちおインタビュー
イタガキノブオ/松井雪子/鳩山郁子/安部慎一/三本義治/友沢ミミヨ/唐沢商会/QBB/土橋とし子/沼田元氣/みぎわパン/ねこぢる/松沢呉一/高杉弾/中ザワヒデキ/四方田犬彦 etc.

<読む前の大使寸評>
特集:「つげ義春」する!と銘打った本号が、売価で500円(定価550円)という優れモンでおました♪

anamonガロ(1993年8月号)




<『対話録・現代マンガ悲歌』>
図書館に借出し予約していた『対話録・現代マンガ悲歌』という本を手にしたが・・・

この本は、ページをめくる際にそれぞれ引っかかりがあるわけで、神戸市では私が最初の読者のようである。
今まで図書館に死蔵されていたわけだが…
やっと日の目をみたわけかと、感慨深いものがあるのだ(笑)


【対話録・現代マンガ悲歌】
マンガ

対談集、青林堂、1970年刊

<「BOOK」データベース>より
古書につき、データなし

<読む前の大使寸評>
つげ義春、佐々木マキがでているのが、借りる決め手でんがな♪

この本は、ページをめくる際にそれぞれ引っかかりがあるわけで、神戸市では私が最初の読者のようである。
今まで図書館に死蔵されていたわけだが…
やっと日の目をみたわけかと、感慨深いものがあるのだ(笑)

<図書館予約:(12/22予約、1/06受取)>

Amazon対話録・現代マンガ悲歌
対話録・現代マンガ悲歌byドングリ


この本で、若き日の赤瀬川さんと佐々木さんを見て見ましょう。

赤瀬川原平:画家。昭和12年横浜生まれ。41年模型千円札で起訴、45年に有罪確定。
原平

佐々木マキ(本名=長谷川俊彦):昭和21年神戸生まれ。41年「よくあるはなし」を『ガロ』に発表。44年6月より『朝日ジャーナル』に連載マンガ等。
佐々木



<ガロ曼陀羅>
図書館で『ガロ曼陀羅』という本を手にしたが・・・
おお コレだ♪ この本だ♪

この種の本を見つけるには、図書館で手当たり次第に探すしかないような気がするのです。

そうそうたる著名人が、ガロについて語っているが、個人的に気になる人の分を紹介します。
まず、佐々木マキさんから

<フィクサーながい:佐々木マキ>よりp26~27
 ぼくのマンガが初めて『ガロ』に載ったのは1966年、ぼくが20歳の頃だから、もう四半世紀も前のことになる。自分の描いたものが印刷されるというのは、何とも実に快感です。すっかりおもしろくなって、せっせとマンガを描いては『ガロ』に投稿していた。

 その翌年、二度も落ちているので、もうどうでもいいや、という気持ちで受験した美術大学に、三度目で合格してしまった。ところが、おもしろくないんだね、その学校。
 ぼくはハタチのオトナだけど、まわりは18かそこらのお嬢ちゃん、お坊っちゃんばかりで、ウォーホールも、ジャスパー・ジョーンズも知らない、何だろ、こいつらと思いました。

 金もなかったしね。看板描きや家庭教師のアルバイトやって、その合間にマンガを描く。ガッコへ行ってる暇なんてなかった。
 まあ、それで、学費滞納・出席不良・マンガを描いている―という理由で、2年生で抹籍処分にされたんですけど。

 学校は放り出されるし、すでに同棲している女性はいるしで、こいつは何とかしなくちゃと思って、長井さんに、とにかく上京したいんですけど、と打診したところ、いいとも、出ておいでよ、という返事で、おまけに長井さんは、ぼくのために『朝日ジャーナル』連載の話までまとめてくれた。

 半分しろうとが、いきなり週刊誌の連載だからね、苦しかった。バルザックの小説に「人生には1年生の行く教室なんてないのよ。誰だって最初からいちばん難しいことをやらされるんだわ」という科白があったと思うけど、まさにそれだった。

 でもいい経験になった。それ以後、いくらしんどい条件の仕事が来ても、あの時の苦しさを考えたら、こんなの物の数じゃないと思って、何とか切り抜けられるもの。

 あれは1970年の秋だったかな、岡山大学の学園祭に『ガロ』御一同様として招かれたことがある。長井さん、上野昴志さん、勝又進さん、林静一さんたちと一緒に岡山へ行った。行ったけれども、講演するわけでも、何かをやってみせるわけでもない、ひたすら飲んで騒ぐだけという結構な御招待だった。

 その帰路、京都に立ち寄って、長井さんに連れられて行った所というのが、ぼくが美大で教わった秋野不矩先生の御子息のお宅だった。それが縁となって、のちに秋野先生の紹介で、ぼくは福音館から絵本を出すことになる。本当に、どこでどうなるのか判らないね。

 こう振り返ってみると、初めて『ガロ』に投稿した時、おもしろいので続けて描くように励ましてくれたのを含めて、長井さんは、ぼくの重大な転機に、三度大きく絡んでることがよく判る。ぼくが長井さんをひそかにフィクサーと呼ぶ所以です。


次に四方田犬彦の佐々木マキ論みたいなものを紹介します。

<『ガロ』の最初にして最年少読者の自画像:四方田犬彦>より244~246
 おそらく長井さんの方でも、12歳の子供が千円札を手に、こんな生意気な口をききながらやって来るとは、予想されていなかったと思います。お金を払って1冊ほどのバックナンバーを包んでもらっていると、ほら、これが今日出たばかりの新しい号だから、1冊おまけだよといわれ、白地に青の表紙の『水木しげる特集号』をタダでもらってしまいました。

 帰りの神保町の交差点はもうすっかり暗くなっていました。渋谷行きの都電が来ず、ひどく心細い気持ちでした。都電のターミナル駅だったのでいろいろな系統の電車が通過するのですが、なかなかお目当てに出合わないわけです。ようやく乗った電車の薄暗い車輌のなかで、ぼくは手にした紙包みを破いて、『ガロ』を読みはじめました。下馬町の家に戻るまでとうてい待ちきれなかったのです。その結果、包みはボロボロに破れ、12冊の本をほとんど抱えるようにしてぼくは帰宅しました。 

(中略)
 68年だったと思いますが、佐々木マキと林静一があいついでデビュウしました。年齢的にははるかに年少だったのですが、これはぼくが最初に同時代のアート、というよりアートの同時代性を自覚した瞬間だったと思います。「アグマと息子と食えない魂」という林静一の処女作を読んで、木版画のような線の太さとブラックユーモアの寓話に強い印象を受けました。それが次の「巨大な魚」では細い線に変り、因襲に満ちた田舎町での人間の業という主題に挑むわけで、ぼくはしばらく彼の一挙一動に振り舞わされっぱなしでした。

 佐々木マキはというと、当時は難解だという評が圧倒的だったと思います。60年代とはまだ人々が物事の深層に隠れ潜んでいる意味とやらの探求に多忙であり、難解であることが価値の微であった時代でした。もっとも佐々木マキ本人としては、解釈すべき晦渋な意味など何もない、ある種のニヒリスティックなノンサンスが主眼であったわけです。

 このノンサンスは時代の雰囲気でもあったわけですが、文学言語が到達するまでには70年代を待たなければならなかったと思いますね。エドワード・リアとかルイス・キャロルがそれなりに紹介され、読まれるようになったとき、はじめて人は佐々木マキの正しさが理解できたわけです。

 ぼくが書いた文章でもっとも最初に活字になったのは、何を隠そう、68年の『ガロ』に投稿した佐々木マキ論です。どうしてだか忘れてしまいましたが、矢野武徳という筆名を用いました。状況は逼迫している、もはや躊躇は許されない、というまるでアジビラみたいな口調のものです。今回のために久しぶりに読み直してみましたが、16歳の自分がいったい何を書いていたのか、今では文意が掴めなくなっていました。




【ガロ曼陀羅】
ガロ

『ガロ』史編纂委員会編、PHP研究所、1991年刊

<「BOOK」データベース>より
創刊号(1964年9月)から318号(1991年6月)までの全表紙をカラー写真で収録。『ガロ』掲載全作品を作家別に網羅。約30年におよぶ『ガロ』の歴史と変遷。まるごとオリジナル書き下ろし。
【目次】
第1章 モーゼルの勝ちゃん/第2章 『ガロ』白書/第3章 カムイたちの贈り物/第4章 異色作家の殿堂/第5章 広がる表現形態/第6章 憧れの『ガロ』/第7章 『ガロ』という名の登竜門/第8章 エディトリアル・アドベンチャー/第9章 マンガ界の新陳代謝/第10章 面白主義以降のバラエティな面々/第11章 新時代の『ガロ』
<大使寸評>
この本が刊行された1991年には、長井勝一さんが青林堂会長として在籍していたようです。
それにしても・・・
そうそうたるアーティストの書き下ろしでこの本が成り立っているのは、『ガロ』が与えたインパクト、そして長井さんの人徳の成せるものなんでしょうね♪

ガロイストという言葉ができるほど、膨大な数のアーティストのリストがこの本の最終ページに載っています。
それから、この本の編者は『ガロ』史編纂委員会となっていることから、ガロイストの数の多さが知れるのではないか。

rakutenガロ曼陀羅


wikipediaガロ (雑誌)



<ノー・シューズ>
佐々木さんが生まれ育った神戸・新長田といえば、ドングリ国の縄張りであるが・・・
神戸にはニューカマーの大使が知らない昔のお話が、興味深いのです。

 それから、村上春樹との交流も興味深いですね。芦屋と神戸はお隣という関係からなんだろうか?


【ノー・シューズ】
佐々木

佐々木マキ著、亜紀書房、2014年刊

<「BOOK」データベースより>
マンガ家デビューから『やっぱりおおかみ』などの絵本創作の背景や『ガロ』で出会った人々との交流までを綴った書き下ろしエッセイ「ノー・シューズ」。神戸の下町で過ごした幼少期を描いたエッセイ「ぼくのスクラップ・スクリーン」。珠玉のエッセイと共に不思議な1コママンガの連作「スカラマンガ」も収録!

<読む前の大使寸評>
佐々木さんが生まれ育った神戸・新長田といえば、ドングリ国の縄張りであるが・・・
神戸にはニューカマーの大使が知らない昔のお話が、興味深いのです。

 それから、村上春樹との交流も興味深いですね。芦屋と神戸はお隣という関係からなんだろうか?

<図書館予約:(9/09予約、2/25受取>

rakutenノー・シューズ


マンガ雑誌「ガロ」との関わりが語られています。
当時の大使は、「ガロ」を見たかもしれないが、気に留めるほどではなかったのです。

<ガロ>よりp149~151
 「ガロ」という奇妙な名前のマンガ雑誌を、私が初めて手にしたのは1966年のことだった。創刊号から最新号までの20冊ほどを、まとめて誰かから借りたのだ。
 目当てはもちろん白土三平の『カムイ伝』である。私はそれより少し前に三洋社版の『忍者武芸帳』全巻を通読して、その迫力とおもしろさに圧倒されたばかりだった。
 毎号百ページ掲載の『カムイ伝』はなるほど凄かったが、残りのページに載っているさまざまなマンガが、これまた非常におもしろかった。

 水木しげるという人のマンガを初めて見たが、とぼけた不思議な味わいの作品を描く人だと思った。
 つげ義春の作品とも久し振りに対面した。貸本屋以来お目にかかっていなかったので。 滝田ゆうという人のマンガも初めて見たが、とても好きになった。独特の線描と、ギャグとオチ。うまい落語を聞くような気分。
 
 それにしても、この一見野暮ったくて貧乏くさい(そして、かなりいい加減な)「ガロ」という雑誌が、その時の私にはどんなに新鮮で魅力的に見えたことだろう。ちょうど、身なりやマナーにはまるで無頓着だが、とびっきり自由で風通しのよい精神を持った放浪児に出会ったように。

 私は毎月「ガロ」を買って読むようになったが、それだけでは飽き足らなくなり、その年の夏、短い風刺マンガを描いて投稿した。私の投稿は採用され、その年の11月号に掲載された。
 天にも登る気持ちとは、この時のことを言うのだろう。

 原稿料2千円のはいった現金封筒には、メモ用紙を破りとったような紙切れに、恐ろしく下手な字で「アナタノ漫画ハ面白イノデ コレカラモ送ッテ下サイ」と書かれたものが同封されていた。私はこれを書いた人が青林堂社長にして「ガロ」編集長の長井勝一氏とは夢にも思わず、なぜか<アルバイトのおじいさん>の書いたものと思い込んでいた。
 マンガを描くことに私が熱中し出したのは、それからである。人の運命はこんなふうにして狂っていく。


それにしても赤瀬川原平といい、佐々木マキといい、『ガロ』には本当に異能の持ち主がいたんですね。



<もう赤瀬川原平さんはいないのか>
図書館で『赤瀬川原平・現代赤瀬川考』というムック本を手にしたが・・・
そうか、もう赤瀬川原平さんはいないのかと想うのです。
(10月26日に逝去しています)

赤瀬川さんは模型千円札事件を起こしたりいろいろあったが、晩年に「老人力」という概念をぶちあげたことが大きいと思うわけです。


【赤瀬川原平・現代赤瀬川考】
赤瀬川

ムック、河出書房新社、2014年刊

<商品の説明>より
希代の美術家、作家である赤瀬川原平を総特集。発掘対談、単行本未収録作のほか、
松田哲夫×南伸坊×山下裕二の鼎談、四方田犬彦、林丈二、夏石鈴子、足立正生、高野慎三etc.

<大使寸評>
「KAWADE夢ムック」と銘打った追悼企画本なんだが、素早い動きやでぇ♪
赤瀬川さんは模型千円札事件を起こしたりいろいろあったが、晩年に「老人力」という概念をぶちあげたことが大きいと思うわけです。
とにかく、この概念はイグノーベル賞級のオリジナリティだと、大使は高く評価するのです♪

つまり、観念的な意味で、もっとも破壊力を持った前衛的なイリュージョンだったと思うのです。
惜しい人を亡くしたが・・・それも世の常、人生なんだろう。合掌。

Amazon赤瀬川原平・現代赤瀬川考
もう赤瀬川原平さんはいないのかbyドングリ


生前の赤瀬川さんと親交の深かったお三方の座談会を見てみましょう。

<【特別座談会】松田哲夫×南伸坊×山下裕二──赤瀬川さんの謎>よりp7~11
(文字数制限により省略、全文はここ



桜『桜画報』



<つげ義春 夢と旅の世界>

つげ義春 夢と旅の世界より
つげ

<原田マハ(作家)>
 つげ義春というマンガ家は、手塚治虫と同時代に活躍しながらも、手塚とはまったく逆の生き方をし、まったく違うあがめられ方をしたマンガ家である。手塚との共通点は、マンガ好きのあいだでは、ほとんど神格化されているところだろうか。

 手塚の大ファンだった私は、20代の頃、初めて「ねじ式」を読んだ。あのときの衝撃は、いまも忘れられない。悪夢のような内容のそれを目にして、実際、寝られないほど怖かった。言葉にはできない不気味さと不穏な空気が全編を覆っていた。一体つげ義春とは何者だろうと、気になって仕方がなかった。

 つげがデビューして今年で60周年だそうだ。ところが作家は表舞台からあるとき忽然と姿を消した。以来、25年以上も新作を描いていないということだ。
 「月刊漫画ガロ」を主戦場に発表してきた数々の作品は、時を経るごとに伝説化され、静かにファンを増やしていったにもかかわらず、つげが新作を発表することはなかった。いったいどこでどうしているのかと思いきや、なんとこの本の中で美術史家・山下裕二氏によるインタビューに登場しているではないか。いかにもひょうひょうとして。これには心底驚かされた。

 本書に掲載されている「ねじ式」や「ゲンセンカン主人」の色褪せた原画は、いかにつげの作品が芸術的に完成度が高かったかをみせつけていてうならされる。さらにはつげが撮り貯めていた旅の写真、その物寂しさ。ああもう一度、つげ作品を読みたい。これを機に、もう一度表舞台にと願ったところで、きっとかなわない。それでこそ、つげ義春なのだ。


つげ義春、他著、新潮社、2014年刊

<商品の説明>より
不気味、だけどクセになる。あの名作の原画も初公開! 1960-70年代、マンガの常識を打ち破った「ねじ式」など4作を、描かれたままの姿=原画で堪能。全国を旅して撮った写真からは、失われた侘しい日本がにじみでる。いまを語る4時間ロング・インタヴューも充実のデビュー60周年記念保存版! 「この本は買っても買わなくても後悔するでしょう」(つげ義春)

<大使寸評>
『ねじ式』『紅い花』『ゲンセンカン主人』の原画を載せているので、勘所はすべて押さえているわけです♪
4時間ロングインタビューや旅の写真なども収録されていて、申し分のないムックでおま♪

図書館で予約し約2ヶ月待った甲斐がおました。

<図書館予約順番:6(10/11予約、12/02受取)>
rakutenつげ義春 夢と旅の世界




<『ガロ』を見ずに過ごしてきた>
団塊世代と並行するように漫画ムック『ガロ』が発刊されていたようだが・・・
その時代の大使は、お仕事の真っ最中であり、『ガロ』を見ずに過ごしてきたわけです。
今では佐々木マキという作家の展覧会まであるようですね。知らなかった。

佐々木


暇になった大使は、過去の空白を埋めるようにネットの海をさまよっているんですが(笑)・・・・
それにしても赤瀬川原平といい、佐々木マキといい、『ガロ』には本当に異能の持ち主がいたんですね。

ウィキペディアの「佐々木マキ」を引用します。

wikipedia佐々木 マキより
佐々木 マキ(1946年~ )は、『ガロ』出身の漫画家、絵本作家、イラストレーター。神戸市長田区生まれ、京都市在住。京都市立芸術大学中退。本名長谷川俊彦。
『ガロ』や『朝日ジャーナル』誌上などに漫画を発表したほか、福音館の「こどものとも」シリーズなど、数多くの絵本を制作。他作家の絵本や本のイラスト、村上春樹の著書などのカバー装画も数多く手がけている。

<作風>
その作風は「ナンセンス絵本」の分野を開拓した、とされ、幼児から大人にまで愛され続けている。
童話作家・小沢正とのコンビが有名で、動物を擬人化した童話を多数共作している。

<漫画>
・うみべのまち(掲載:『ガロ』1968年11月)
・ベトナム討論(掲載:『ガロ』1969年1月)
・ピクルス街異聞(掲載:『ガロ』1974年2月)、ほか。

<村上春樹作品の表紙>
・風の歌を聴け(講談社 1979年)
・1973年のピンボール (講談社 1980年)
・羊をめぐる冒険(講談社 1982年)
・カンガルー日和(平凡社 1983年)
・パン屋再襲撃(文藝春秋 1986年)
・ダンス・ダンス・ダンス(上・下)(講談社 1988年)
・TVピープル(文藝春秋 1990年)
・ふしぎな図書館(講談社 2008年)

おお 神戸市長田区生まれなのか・・・・ドングリ国の国民ではないか♪
ということで・・・
図書館で佐々木マキの漫画など、探してみようと思う今日この頃でおま♪

佐々木マキの漫画といえば・・・
ビジネスマンの教養とはでも、言及していたのです。
分野としては、なんと「美術」分野となっています。

うみべのまちうみべのまち

村上春樹の著書の挿絵画家として知られる佐々木マキは、60年代末に衝撃デビューした前衛マンガ家だった。どれほど衝撃で前衛だったかというと、マンガの神様・手塚治虫を激怒させるほど。コマやフキダシといったマンガの構成要素はバラバラに解体され、それでもマンガ的世界を保ちながら極限のストーリーを語り続ける。マンガはこれほどまでに自由で強靭なのだ。


「あの連載をすぐにやめろ!」手塚治虫がブチきれた!?  佐々木マキの前衛実験漫画『うみべのまち』というエピソードが面白い♪


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